この本も買ったまま放置していたもの。
少ない蔵書なのですが、そのほとんどが読んでないのですね。
買って満足しただけ。
今回も1章ずつちまちまと読んでいきます。
印象に残った部分だけ、要約しておきます。
Ⅰ 情報生産の前に
誰も立てたことのない問い(オリジナルな問い)を立てるには、すでに誰がどんな問いを立て、すでにどんな答えを出したか知らなければならない。
すでにある情報の集合を知識として知っていることを「教養」と呼ぶ。そのためオリジナルであるためには教養が必要。
誰も立てたことなのない問い、まだ答えのない問いを立てるには、生き方もセンスも問われる。「問題意識」はノイズをキャッチする感度でもあり、ノイズは現実に対する違和感、疑問、こだわりであって、自明性(あたりまえ)の世界で思考停止しているひとには発生しない。
研究とはテマもヒマもエネルギーもかかるめんどうな作業なので、ほかの誰にとって意味がなくても、研究者自身にとって意味があれば「納得」という報酬が得られる。
ほんとうに解きたい問いに出会うことは、研究者にとって仕合せというべき。ほんとうに解きたい問いでない限り、研究には本気にならないものだ。
5年くらい前、大学院に行きたいなと思って、ちょっと調べたり、受験の準備らしきことをやり始めたりしたのですが、そもそも何を研究したいのか、明確でなかったので、頓挫したことがありまして…。
ただ「大学院」という学問的雰囲気に、ちょいとあこがれを持っただけなんですな…。
「自明の世界で思考停止している人」である私、少なくとも今までの私はそうなので、情報生産者にはなれませんねえ。
強く共感したのは「教養」についての見解。
なんでもスマホで検索できる時代であっても、知らないことは知ろうとしないわけで。古典(文学)の学習必要なし、みたいに言う人がいるけれど、誰もがクリエイターとして(もどきも含め)発信できる現在、「先行するもの」を明確に知らないと、すでにあるもののなぞりに近いのに、「オリジナル」と勘違いしてしまうことが頻発しないかしらん。
「先行するもの」をリスペクトする態度と「教養」の親和性は高く、それらがあってこそ「オリジナル」なものが創造されると思うんですけど。
今日、偶然スープ作家の有賀薫さんの動画を見たのですが、この方は、自明の世界(日々の食事の献立はこう、といった固定観念)に疑問を抱き、それではどうあるべきかと問いを立て、研究、実践を繰り返して「スープ作家」という立場を確立した方のようにお見受けしました。
さて、新年の目標も立てていない私。
「問い」を立てること…こんな目標もありかもしれません。