再び、読書を再開。
今日は「Ⅲ 理論も方法も使い方次第」です。
…しかし! Ⅲ章まで読んで、やっぱり難しい…と弱気になってきました。
読むことは読めるんだけど、じゃあ、どういうことが書いてあったか、と自分に尋ねるとうまく言い返せない。…つまり、理解していないんですね(笑)。
ということで、内容のまとめはスルーします(簡単にあきらめる)。
ただ、印象に残ったこととして、上野さんが「仮説」「理論的枠組み」「方法論」の関係の説明として挙げた、「孤独死が増えているのはなぜか?」という問いの例があります。
この問いは一見、日本の社会が今抱えている問題に焦点を当て、何の問題もなさそうです。
しかし、上野さんによると、この問いは、まず、「孤独死が増えている」という命題の正当性を確認しなければならない、さらに「孤独死」とは何かという定義を洗い直さなければならないということです。
「孤独死」と概念化すること自体、「立ち合い者のいない死亡」をネガティブにとらえています。であるならば、「孤独死」の何が問題かを問い直さなければなりません。すると「孤独死」の問題は、遺体が放置されて居室など物件が損害を被るような、つまり生きている人間側の問題とも言えることが浮かび上がってきます。
つまり、「孤独死が増えているのはなぜか」という問いには、すでに「孤独死を防がなければならない」という意図が含まれていますが、自発的に孤立した生き方を選ぶ人もいるわけで、「孤独死」を防ぎたいのは生きている人間の都合にすぎないかもしれないのです。
ここらへんで私の理解は限界点に達したのですが、「研究」って大変ですね。
でも、「研究」」に限らず、何かについて「問い」を立て、自分が納得できる解を突き詰めようとするとき、私たちは突っ走る前に、その「問い」の立て方をそれでいいのかじっくり考える必要があるのでしょう。
上野さんは「問いの立て方で、採用する理論が変わりますし、研究の対象も方法も変わります」と説明されています。
私の場合、まず「問い」を立てる習慣を始めなければならないのですが、それができるようになったら、その問いのありかたを検証していきたいものです。
さて、恥ずかしながら(?)私、本日初めてZOOMを使って研修会に参加しました。
この研修会は任意のものだったのですが、これ以上世間で普及されているツールを避けてはいけないと、がんばりました。
…結果、さほど難しいことでもないんですね…。
どうも、やる前になんでも難しく考えてしまう傾向があるようで。それを世間では「保守的」とか、「旧態依然」」とかいうのかもしれません。
今年は新しもの好きの、ミーハー路線を意識して進みたいです。