今日は「Ⅴ章 風景を書く」を読みました。
簡単にまとめると以下のようなことを理解できました。
風景を書くのが難しいのは、三次元である風景を文字に変換するのは視覚という広がる(つまり並列的な)ものを、一本の流れで読まれる文字という直列の形態に変換することが必要となるからだ。
脳の働きから言えば直列的なもの(例えば論理)を直列的な文字で表すことはさほど難しくないが、知覚全般は並列的なものなので、直列的な言語に置き換えるのは脳に大きな負担となる。
だからこそ言語を通して視覚や聴覚でとらえたものが鋭く表現できていたら、読む者の感動は大きくなるのだ。
このようなことが書かれていたと思います、たぶん。
さて、そんなに難しい「風景を書く」ことを筆者が重要視するのは、風景を書くことで文体が発生する、さらに言えば「文体というのはこの作業(文字を通して風景を再現する)の痕跡でしかない」からなのです。
小説を書くという行為は熟知していることをくり返すことではなく、未知の道を切り開いていくことで、風景を書くという行為は、そのまま小説を書く行為の本質が圧縮されたものだと言えると思う。(147頁)
なるほど。小説を読むとき(あまり読まないけど)、風景描写が出てきても、ストーリーの進行に関係ない、とばかりにスルーすることが多いんです(読み方が雑)。
でも、保坂さんによると風景描写は作者の文体が立ち上がっている重要な場所なのですね。
近頃の小説では、かっちりと風景を書いているものが少ないのかもしれませんが、今後どのように書かれているか興味を持って小説を読んでみようと思います。