今日は「Ⅵ章 ストーリーとは何か?」を読みました。
印象に残った部分をまとめてみるとこんな感じです。
人間の想像のメカニズムとして、回想や事情説明のように過去から現在に近づいていく時間の矢に沿うと、イメージが組み立てやすい。逆に普通のストーリーは現在から遠くへ離れていく時間の矢になっているので、書きにくい。「ストーリーテラー」とは「結末からの逆算」で作ったストーリーを現在→未来に向かって矢を放っているように操作できる人のことなのだ。
しかし、「ストーリーテラー」による作品は「エンターテインメント小説」であって「小説」とは言えない。
なぜなら「小説とは書きながら自分自身が成長するもの」あるいは「書く前の自分より書いた後の自分のほうが成長しているもの」であって、結末が書く前から決まっていたら書きながら成長することはできないからだ。
なあるほど…。
エンターテイメント小説と「小説」の違いをこんなにわかりやすく説明してもらったのは初めて。すごく、腑に落ちました。
両者の違いは単なる分かりやすい内容か否か、かと思っていましたが、結末に対する意識の違い、という指摘は納得です。
そういえば、これと非常によく似ていることを同じく作家の小川洋子さんもおっしゃっています。
ひとりの作家の頭のなかで考えることのできる程度はたかだか知れていますので、作家が先頭に立って登場人物たちをぐいぐい引っ張っていくような小説は、私はむしろ面白くないと思っています。自分の思いを超えた、予想もしない何かに助けてもらわないと、小説は書けません。(『物語の役割』)
小説を書く過程を保坂さんは「成長」、小川さんは「何かの助け」と表現されていますが、共通するのは、作り手としてゴールを明確にこしらえているわけではない、ということですね。