昨日、「Ⅶ章 テクニックについて」と「創作ノート」を読み、予定通り1週間以内に読み終えられました。
保坂さんの小説は1冊も読んだことがないので、今後1冊読むたびに、「創作ノート」を読み返すと、保坂さんが言わんとしていることが、より理解できると思います。
Ⅶ章で印象に残った部分を抜粋しておきます。
小説家と役者は、ほかの仕事をしていてもある日、突然なれる。他の職業は、サッカー選手でも音楽家でも、すべて「技術」が必要だけれど、小説家と役者はそれがなくてもなれる。
(192頁)
(小説家は書き終わったときに成長していなければならない。同じモチーフにこだわらず「次へ」「次へ」と行ってみるべきなので)小説(小説家)にとって、「自分」や「自分の作品」、「自分のアイデア、イメージ」は、意外なことに、「躓きの石」なのだ。(197頁)
小説は、ふだん使っている言葉の中に違った意味やリズムを見つけ出すことで成り立っている。そして、そうやって小説のなかで使われた言葉は、もう一度ふだんの言葉に力を与えることができる。小説に限らず芸術表現というものは、通常の言葉や認識を出発点としつつも、そこに別の様相を見つけ出していく行為なのだ。(119頁)
「文庫のためのあとがき」で保坂さんは本書について、「小説以外の分野を目指している人から『目からウロコが落ちた』『やるべきことがはっきりした』という反響をたくさんいただいた」と書いていらっしゃいます。
本当にその通りだろうと思います。 この本は、創作に向かうにあたってのヒントがたくさん、私のように今のところ具体的な創作活動の予定がない人間にも、第三者の創作物を鑑賞する際、創作者の姿勢を問うときの貴重なヒントがいっぱいの1冊でした。
職場でもコロナ感染者出ました。
だんだん、他人事ではなくなってきました。
今以上の感染対策は取りようがないので、気持ちを引き締めながらも、あとは運を天に任せるしかない、と言った心境ですね。