今日ネットで読んだ「プレジデント・オンライン」の記事。
「『健康診断は不要である』そう断言する和田秀樹さんが、これだけは…と勧める”2つの検査”」
その中の次の部分がおもしろいなあ、と思いました。
■人間は歳をとるほど個人差が大きくなる
人間という生き物は、子どもから現役世代にかけては、誰もがだいたい一定の幅の中に収まることが多いのです。たとえば普通の公立小学校を見れば、生徒の中で超優等生と超劣等生の間のIQの幅は、80から120くらいです。50m走をすれば、速い子で6~8秒くらい、遅い子でも15秒あればゴールします。若いときには、せいぜいそのくらいの差しかありません。 ところが、80歳の高齢者同士を比べるとどうでしょう? 一方で認知症のために言葉さえ理解できなかったり、寝たきりの人がいますが、他方では大学教授を続けたり、立派な業績を残すくらいしっかりしている人もいます。運動能力においても普通に走れたり、泳げたりする人がいます。 歳をとればとるほど、若いとき以上に、身体能力、健康状態の個人差が大きくなってくる。人生100年時代を迎えるにあたって、まずこのことを理解してほしいのです。
おもしろい、と思ったのはふだん私が考えていることとは逆のことを言っているから。
若い時はそれぞれの個性や能力が多種多様。
年を取れば、若い時の活躍やら実績やらは関係なく、老いるということは等し並み、と思ってきたのです。
でも、「 歳をとればとるほど、若いとき以上に、身体能力、健康状態の個人差が大きくなってくる。 」なら、気が抜けませんね。
また、記事には和田さんのこのような見解が紹介されていました。
私は、これまで30年以上にわたって高齢者医療に携わってきましたが、無力感を覚えるときもあります。
たとえば、若いころからタバコをスパスパ吸い続けていても、100歳近くまで大病もせず、元気な人がいます。他方で、体への意識が高く、日々の健康管理や食事制限に積極的で体に気を遣ってきたのに、若くしてがんや心筋梗塞などに侵される人もいます。
残念ですが、いまの医療技術では、遺伝にはけっして勝てないのです。親が認知症であれば、子どもも認知症になる可能性が高いですし、「がん家系」といった表現があるのが現状です。
持って生まれた才能って確かにあって、手先が器用じゃない、リズム感がなくて音痴、ついでに運動も音痴等々、苦手なことがたくさんの私は、もっと別の星の下に生まれたかったと思うこともあります。
でも、もしかして「健康」という要素の遺伝は受け継いでいるかも。
だとしたら、持って生まれた「健康」に、いつまでも「ふーむ、なるほど」の向学心を取り合わせて、若々しい70代、80代になれるかもな、と希望が湧いてきます。