香合を菱に置き、白地に青い蝶一頭を、浮文様であらわした清楚な形物香合。このデザインに「荘子(そうじ)」の名があるのは、戦国時代の思想家・荘子が蝶になった夢を見た、という著名な逸話からきています。日本の茶人の、粋な注文品です。

古染付荘子香合 中国・景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)

上記の写真と文章は「静嘉堂文庫美術館」のHPよりお借りしました。

先日、社中の大先輩が催された「茶飯釜」の茶事に招かれたのです。

その時、炭手前で使われたのが「荘子香合」でした。

正客「お香合は?」

亭主「そうし香合です」

「そうし」とは「相思」かと思い、何やらロマンティックな香合だわ、蝶々が飛んでいるし…などと思った私。

もの知らずにもほどがありますね。

やっぱり気になって、後で調べたら、「荘子」でした。

私だって荘子の「胡蝶の夢」の故事は知っています。

でも、こういう時、手持ちの知識と目の前にあるものとの関連を類推できないのが、私の知識の浅さ、なのでしょう。

ガックリ…。

「荘子香合」は「型物香合番付」では、西一段前頭三枚目になっています。

追善に使うのに最適、とされるのは、蝶は浄土からの使者、という発想があるからのようです。

夢の中の自分が現実なのか、それとも現実の方が夢なのか、何が真実なのか、を問うているのが「胡蝶の夢」の故事。この世の中には絶対的な真理などない。物事は見方を変えれば全く異なる姿を表す、そうした目を持ち、何物にも縛られない境地に達するとそれが「無為自然」である、というのが荘子の教えです。

何物にも縛られない境地は無理ですが、自分の見方は一面にすぎない、ということは常に念頭に置いていないとね。

年とともに自分のものの見方に妙な自信を持ち、他人の言動を批判的に見がちかも。

そんな時、この香合を自分の心を戒めるものとして手に取る、というのはどうでしょう?

お茶道具だからと言って、お手前(点前)以外で使っちゃダメってことはないですよね?

この香合は「春の茶道具」として「淡交社のオンラインショップでも」予約販売されているのです。5,060円…。

手が出せない金額ではない、だけに迷います。ものすごく高額だったら、諦めるけど。

どうしましょ?

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