さて、前回に引き続き『宇治拾遺物語』巻三の十四です。
短い話ですが、(知識が足りないので)いろいろ疑問に思って、引っかかるところ多数。
例えばパワー全開の熱田の神様は、人々が神前で笠を脱がない、馬の鼻を向ける、といった無礼な行為をするとすぐさま罰を与えた、とあります。
笠はわかりますが、馬の鼻を向けるのがタブーとは…。
お尻を向けるほうが失礼じゃない?
『土佐日記』では、「当時は馬の鼻を旅先に向けて、安全を祈願した。餞(はなむけ)の由来である。」
と習いましたが。
また、俊綱国司の前世の僧は、法華経を千部読んで熱田の神様にたむけようとしています。
お坊さんが神様にねぇ…。
現在の感覚では、仏と僧、神様と宮司、と明確に分かれているように思います。
こうした神仏のあいまいな境界というか、緩やかなつながり、のようなものについての知識をもっと深めないと、古典文学を深く理解できないなあ、と感じています。
これまでうかうかと何も考えずに生きてきたので、今さらお勉強しなきゃいけないこと満載だわ…。
この写真は今日ではなくて、3日前息子が急に帰ってきた時の夕食。
帰宅が7時を過ぎていたので大慌てで作ったけど、何とかなりました。
偶然私も夫もぶりの刺身を買って来ていたので、合わせるといい感じに息子の分を確保できました。