禅語のお勉強、4回目。
「冷暖自知」とは、水の冷たいか暖かいかは、飲んだ自分にしかわからないという意味。
悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が悟らなければわからないという意味でもあります。
体験の大切さ、それから得た実感の尊さを表している言葉なのでしょう。
ネットで調べれば、いろんなことが瞬時にわかります。
そしてどのサイトを見ても同じようなことが書かれていれば、それを揺るぎのない真実と受け止めがちです。
でも、ネットで得た情報は、それはひとつの視点にすぎず、絶対ではないのだと、常に言い聞かせて接しないといけませんね。
4月に迎え入れたわが家の2代目飼い犬について、犬種の特性や世話の仕方など、ずいぶんネットを使って調べました。そして、どのサイトを覗いても同じようなことが書かれているので、それが常識と思い込んでいました。
たとえば、中型犬なので1日30分の散歩を2回する、とか、短毛種なので冬は服が必要、とか。
でも、しつけトレーニングをお願いしているドッグスクールの先生は、
「長時間散歩をして足腰が鍛えられるのは人間のほう。犬はボールで遊んであげるほうがいい。」
『「皮」があるんだから、服は必要なし!』
などなど、ネット情報とはずいぶん違うことをおしゃるのですが、経験から裏打ちされたお言葉ですので、説得力があるのです。
もちろん、これから私たち家族が、ネット情報とは異なるアドバイスを実践してみることで、実感を伴った最終判断をするのがベストなのでしょう。
「やってみなければわからない」。
以前はよく聞いた言い回しが、あまり重みを持たなくなっているよう気がします。
たかが、水の熱さ、冷たさでさえ、飲まなくては判断できないのです。
熟練の人の意見は大いに参考にしつつも、自分でやって、感じることを大切にしていかなくては!