今日は第3章読みました。
この章で示唆に富むワードは「年齢の可変性」です。
長寿社会が進展する中で、時間と年齢を単純に結びつける発想に終止符を打たなければならないと筆者は指摘します。
暦年齢のほかに、生物学的年齢、社会的年齢、主観的年齢といった概念が存在し、単一ではないのです。
暦年齢で考えれば、高齢化した日本は「老いた社会」となりますが、「死生学的年齢」(死亡するまでに残されている年数)から見れば、かつてない若い社会ともいえるとのこと。
ふうむ、なるほどね。数値的な年齢がもたらす固定的な物の見方では、これからの社会を生きていくためのストーリーをうまく紡ぐことができないのですね。
またある人がどのような老い方をするかは、その人が加齢についてどのような主観的感覚をいだいているかに影響されるそうです。加齢を否定的にとらえていない人の方が、実際に長生きをするらしいですよ!
「誰もがみずからの生物学的年齢と主観的年齢について自分で判断すべきだ。」(74ページ)
若さに執着することはみっともない、年とともに枯れていく方が好ましく潔いのではないか…と思ったりしていたのですが、自分自身のことを考えると、主観的年齢ではかなり若いんですよ!(笑)
若いというか、情けないほど未熟?
このまま老境に入っていくのはあまりに情けない。
というわけで「年齢の可変性」を念頭に、思い切り若い年齢をイメージして、私これからやっていきます!
と、感じた第3章でした。
ここ数年クリスマスケーキを購入することはなかったのですが、今年は注文していたのです。本日の受け取りで。そうしたら昼に連絡が来て、工場の汚染(!)でお渡しできないと…。別に誰かを招いてホームパーティーをするわけでもなく、幼い子どもがいるわけでもなく。がっかりすることもなく、明日の受け取りに変更することを承諾。でも、怒ったり文句を言う客もいただろうと、お店の人がちょっと気の毒でした。
実家には別の店でイチゴのショートケーキを買っていき、一緒に食べました。すごく喜んでくれて、行って良かったー。(コロナ拡大以降、食事を共にすることがなくなってしまった…。)