本日は「Ⅱ 海図となる計画をつくる」を読みました。
この章では、研究に当たって、まず必要となる「先行研究」のフォローの仕方や「批判的」に「先行研究」を検討するとはどういうことかなどが説明されています。
「批判的」とは、そこにあるものではなく、そこにないものを見抜く力を言います。ただのないものねだりではありません。そこにないものを見いだすには、空白の上に足を置いて新しい視覚を創造するような構想力が要ります。
上野千鶴子さんの文章は明快でわかりやすく、とにかくカッコよい。上記の文章は、「研究」に限らず、日常生きていく中でも、参考としたい姿勢ではないでしょうか。
本書では、大学院に進学するときは必ず書かされる「研究計画書」についても丁寧に解説されています。
また、標準的な研究計画書のフォーマットのほかに、上野さんが最近採用することが多いという「当事者研究ヴァージョン」も紹介されています。
「当事者研究ヴァージョン」が標準的な研究計画書と違う点は、次の三つが加わっていること。
2 なぜ、この研究をするのか、この研究で何を獲得したいのか。
3 研究者としてのわたしの立ち位置(ポジショナリティ)
4 クレイム申し立ての宛て先は誰か(先行研究)
当事者研究とは、わたしの問題をわたしが解決するための、一種のアクション・リサーチだと考えてかまいません。そこには「誰のための、何のための研究か?」という問いが切実に伴っています。ですから「その問いを立てるおまえは何者か?」というポジョショナリティを無視することはできません。
「なぜ」には原因causeと結果effectのふたつの意味があります。このふたつの項目を区別したほうがよいかもしれません。なぜこの研究をしたいと思ったのか(動機)、そして何のためにこの研究をするのか、何を得ようと意図しているのか(目的や効果)。それらも、研究者のポジショナリティから生まれます。それに関わるのが、「クレイム申し立ての宛て先」という概念です。
問題が問題になるのは、現状に満足できない誰かが、それを問題と言い立てるからにほかなりません。ですから問題には、必ず、「宛て先Addressee」があります。それは同じ現象を「問題」とみなしてこなかったこれまでの研究(先行研究)であったり、あるいは「問題」をつくりだした制度や社会、あるいは特定の人びとやその集団であったりします。
「当事者研究」の出発点は「わたしの問いはわたしにしか解くことができない。なぜならわたしはわたしの専門家だから」という意識にあるそうです。問いとはつねに主観的なものだとも上野さんはおっしゃっています。
自分の問いを意識できたら、そして本書で上野さんが解説してくださるような研究の手順を理解することができたら、「研究」は誰にでも可能なことなのかもしれません。
紹介してくださっている、立教セカンドステージ大学「当事者研究」ゼミの取り組みもとても面白い。経験を重ねた中高年は、若い人にはできない「当事者研究」に取り組めそう。
私もそんなゼミ研究に参加できる機会があったらな、と思いました。