本日で読了。
印象に残った部分はここ。
古典を読むことは、その人にとっての重石を持つということでもある。
現代の情報は、旬が極めて短い。最新の流行の情報であっても、たちまち古くなって価値を失ってしまう。そういう時代だからこそ、古典を錨のように下ろしておくことで、流されない自分を持つことができるわけだ。
もっと実用的に使おうと思うなら、自分の体験に古典のエピソードを絡めて一つの小ネタに仕上げることだ。それを人に披露すれば、自分の体験は自動的に深くなる。一目置かれることは間違いない。(151頁)
言い換えるなら、自力で人間としての深さを求める必要はないということでもある。自分の深さを得るために、どんな古典を水先案内人にするか、誰に導いてもらうか、という作業で十分だ。
人によっては宮本武蔵かもしれないし、兼好法師かもしれない。ドストエフスキーや夏目漱石や孔子が性に合っているという人もいるだろう。誰のどんな本を選んでもハズレがないことは、長い年月が証明している。
こういう本を一冊でも持っていると、何かと便利だ。とっつきは悪いかもしれないが、ひとたび付き合ってみれば、末長く遊べる友になる。いわば「マイ古典」をつくるわけだ。機会があれば、チャレンジすることをおすすめしたい。(152頁)
ふーむ、なるほど。
「マイ古典」」か…。
ありません、私には(笑)。
これから、「マイ古典」になりそうな可能性になるものは何でしょうね?
茶道をやっているから、『南方禄』とか?
自分が求めないと「出会い」はありません。
出会いを求めて古典の読書も始めなくては。
昨日の夕食
刺身(まぐろ・しまあじ)
豚小間肉とキャベツ・にんじん炒め
ほうれん草の胡麻和え
アボガドサラダ
本時の夕食
赤飯
玉ねぎと卵のスープ
明太チーズクリームのポテトサラダ
にんじん・ピーマン・鯖缶の炒め煮
テレビ番組でよく取り上げられので、はじめて「コメダ珈琲店」に行ってみました。
ふーん、こういう所だったのか、と納得。
カフェオレがおいしかった。
レジにあった、食パンも買いました。
花が長ーく伸びて、倒れそうになったので、切ってしまったヒヤシンスの花。
ともて良い香りがします。
花もすぐに散らずに長く楽しめそうです。
花を切り取った後のヒヤシンス、なんとまた花を咲かせそうな気配が!
ヒヤシンスって、一度咲いて終わり、ではなかったんですね…。