とっても素敵な記事に遭遇しました!
『日経xwoman』の40、50代向けサイト「ARIA」を定期購読(申し込んでいるが、あまり読んでいなかった…)しているのですが、その中の記事。
稲垣えみ子 50代でピアノ再開、「できない」から没頭
元TBSアナウンサー堀井美香さんとの対談です。
朝日新聞社記者だった稲垣さんが、50歳で退社後フリーになり、今夢中になっているのがピアノ。
毎日2時間は弾いていらっしゃるとのこと。夢中になれるのは、仕事ではなく、自分が喜んでいるだけだからだと説明し、こんなふうにおっしゃっています。
まさに「ザ・無意味」なんですが、無意味だからこそ人目を気にしなくていいのが最高なんですよね。ただ純粋に楽しさを追求できる。仕事となると、会社員だろうがフリーだろうがそうはいかないですから。
(ピアノは年を取ってからの再開なので上達しないが)「できない」って、ものすごい資源ですよね。やってもやってもできないから、必死に努力するしかない。
ピアノに限らず、50歳を過ぎて新しい趣味を始めたり、再開したりするチャレンジのいいところは、今からどう頑張ろうが「絶対モノにならない」ってことなんじゃないっかと思うんですよね。
何も世の中の役に立たない、ひとりよがりの趣味がいいんです。「評価されてなんぼ」の世界から離れたら、もう何をやったっていいじゃないですか。「それやって何になる?」なんて考えなくて済む、ただおもしろいからやる。
いくら頑張っても、何も生まない、何も残らない。つまり、「なにもならない」という度合いにおいては圧倒的だし、人に聴かせるわけでもないから、本当に「無」です。無に対してここまで夢中になれるって異常ですよね。でも、50歳を超えてこうなれたことがすごくうれしいんです。ここまでクレージーになれたか、私!ロックンロールだな!みたいな。
目からうろこのような発言の数々。
私にはない発想でした。
私はいまだに趣味に「できるようになること」を期待しているので。
「できるようになりたい」という下心が逆に足を引っ張って、夢中になることを妨げているのかもしれない。
「いまからやってもモノにならないし…」と思って、多くのことを最初から諦めているような気がします。
稲垣えみ子さんの著者『老後とピアノ』読まなくては…。
一昨日の夕食、うどんと天ぷら。
昨日の夕食、焼きビーフンと残り物の天ぷら。
二日続けて麺類でした。