3日前の夕刊の記事。
見出しは「汚染と戦禍 故郷は離れぬ」「「ロシア軍一時制圧のチェルノブイリ」
戦闘終結の見通しが立たない中、首都キーウに3月下旬から約1か月滞在したフリージャーナリスト綿井健陽さんのルポ。
1986年4月26日の原発事故で故郷を離れた夫婦は20年以上の時を経て、チェルノブイリに戻り暮らしていましたが、この春ウクライナ侵攻をしたロシア軍の占拠を経験します。
この80代の老夫婦の言葉が心に迫りました。
夫のイブゲンさん「祖父がこの家を建てたのは100年以上も前だ。墓はここにあり、隣人もいる。梅が咲いて、桜も咲き始めた。暖かくなれば木にリンゴがなるだろう。これ以上、人生に何を望むのか。今から何を選択しろというのか。」
妻のハリーナさん「私の人生は、思い描いていた道とは全く違った。だが、私たちはその道を歩き続けてきた。これからも同じでしょう。」
なんと詩的な、そして厳かなほど重みのある言葉でしょうか。
同じ地球に住みながら、ほぼ平穏に暮らせる人もいれば、この二人のように二度も生存を脅かされる過酷な経験をする人がいるのです。
このふたりの存在を教えてくれ綿井さんの取材に心から敬意を表したいと思います。